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東京家庭裁判所 昭和43年(家)5384号 審判

申立人 三沢明子(仮名) 外四名

主文

本件申立はいずれもこれを却下する。

理由

第一申立理由

(一)  申立人三沢明子、同三沢孝、同三沢隆及び同三沢邦子の申立理由

(1)  申立人三沢明子は山口ミツ子の母マツの妹、申立人三沢孝は右明子の夫、申立人三沢隆は明子孝夫婦の長男、申立人三沢邦子は右隆の妻である。

(2)  山口ミツ子の母マツは大正一〇年一月一二日夫(ミツ子の父)国夫と離婚し、ミツ子を連れて実家に戻つていたが、昭和六年一〇月一六日山口喜一郎と再婚した。

(3)  山口ミツ子は長じて○○女子○○専門学校に入学し、申立人孝・明子夫婦の家に厄介になつて其処から通学し、卒業後医師になつてからも、申立人明子夫婦は親身になつてミツ子の世話をしてやつた。

(4)  ミツ子の母マツが昭和三五年一〇月三〇日死亡してからは、ミツ子は常に申立人明子方を訪れていたが、ミツ子が独身でしかも病弱だつたので、昭和四〇年一二月二六日ミツ子の申入により、ミツ子は申立人孝・明子・隆と同居することになつた。

(5)  申立人隆は医師としてかねてから大学病院に勤務していたが、山口ミツ子が病弱のため同人の営む○○医院の診療に差支えるので、その懇請により、昭和四〇年九月二三日次のような申合わせ証を作成し、これに基づきミツ子の代診を勤めた。

申合わせ証

1 食住に関する支出は診療費の全収入より支払うものとする。

2 純益の三分の二を三沢隆の収入、三分の一を山口ミツ子の収入とする。

3 病院の経営・財産管理に関しては、三沢隆と山口ミツ子の相談合意の上で之を行い、如何なるものと雖も、他人の介入を認めない。

4 その他不慮の事態が起つた場合は、お互いの誠意寛容の心を以て事に当り、円満な解決を計るよう努力することを誓います。

そして昭和四〇年一二月二六日から前記の通り申立人隆は両親と共にミツ子と同居し、ミツ子に代り診療に専念した。

ところが昭和四一年七月九日ミツ子の病気が悪化し、再度入院したが、同月二八日遂に死亡した。

この間隆は病院に住復し、その看護に当つた。

(6)  申立人邦子は昭和四一年二月二〇日申立人隆と結婚し、申立人隆が山口ミツ子に代つて診療に従事している間その手伝いをし、更にミツ子の再度入院の間その看護に当つたものである。

(二)  申立人井上章吉の申立理由

申立人井上章吉は医師で昭和二七年二月頃山口ミツ子と知合つた。当時ミツ子は○○区○○町の小さな建物で○○医として診療に従事していたが、申立人井上は四〇万円をミツ子に貸与して○○区○○町に診療所向きの建物を購入させた。そしてこの時からミツ子が昭和四一年七月死亡するまで申立人井上はミツ子と特別の関係を結び、約金二、〇〇〇万円に上る援助を与えた。その他にも申立人井上は、○○大学○○部○○学科松宮二郎教援に依頼して、その研究室にミツ子を入所させて学位をとらせたし、ミツ子が昭和三五年暮から昭和四〇年一二月まで○○女子○○大学病院に入院できたのも、申立人井上の援助によるものであり、その長期入院中も勿論申立人井上は何くれとなくミツ子の世話をし、更に又昭和四一年七月ミツ子が再度入院したときも、申立人井上の努力に負うところが大きかつた。

かようにしてミツ子の遺産は長期にわたる申立人井上の援助に負うところが大きいのである。

第二当裁判所の判断

関係者の戸(除)籍謄本、昭和四一年(家)第九二〇七号相続財産管理人選任事件における調査官永井百合子の調査報告書、本件における申立人三沢明子、同三沢隆各審問の結果、東京都社会保険診療報酬支払基金幹事長竹下定の回答書、国民健康保険団体連合会理事長安井謙の回答書及び相続財産管理人内田茂の昭和四五年五月一二日附報告書によると、次の事実が認められる。

(1)  申立人明子は山口ミツ子の母マツの妹で、大正一二年六月二二日申立人孝と婚姻したこと、申立人隆は明子の長男、申立人邦子は隆の妻で、右両名は昭和四一年六月二一日婚姻したこと。

(2)  山口ミツ子の母マツは大正一〇年一月一二日夫(ミツ子の実父)国夫と離婚し、ミツ子を連れて実家に戻つていたが、昭和六年一〇月一六日ミツ子を連れて山口喜一郎と再婚したこと。

(3)  山口ミツ子は女学校卒業後○○女子○○専門学校に入学し、継父喜一郎の仕送りを受けて、○○市にあつた孝明子夫婦の家から通学したこと。卒業後暫らく九州の両親の許に戻つたけれども、昭和二四年一〇月継父喜一郎が死亡したので、昭和二五年ミツ子は母マツと共に上京し、申立人明子方に約六ヶ月厄介になりながら、○○診療所等に医師として勤務し、次いで東京都○○区○○で○○医を開業したこと。

(4)  昭和二七年頃ミツ子は申立人井上章吉と知合つて肉体関係を結んだこと。申立人井上章吉(明治三九年五月二〇日生)は○○医で、当時既に妻子を持つていたが、ミツ子に経済的援助を与えて妾とし、ミツ子も又○○医をしながらその関係を続けていたこと。昭和三六年に至り、ミツ子は○○を患らつて入院したので、山口○○診療所の代診に医師平田きみよを頼み、平田きみよの努力で同診療所は相当の収入をあげ昭和四一年一一月頃は月収約四〇万円に達していたこと。この間ミツ子は時折病院から自宅に戻つては経理を監督し、平田きみよにこれを一任することはなかつたこと。又この間ミツ子は時々申立人井上章吉と会つて関係を結んでいたこと。このように山口○○診療所は相当の収入をあげていたので、ミツ子の生活費治療費はこの収入で足りたけれども、ミツ子は申立人井上に対して妾として援助をねだつていたようであること。

(5)  ミツ子は申立人井上と妾関係を結んでからというものは申立人明子一家と縁が遠くなり、病気入院中も殆んど往き来がなく、後述の昭和四〇年九月頃から再び明子一家と交際するようになつたこと。これに反する東京地方裁判所昭和四四年(ワ)第七五一〇号原告三沢明子、被告亡山口ミツ子相続財産管理人内田茂間の土地建物所有権移転登記請求事件の証人宮本順子の証言や原告三沢明子本人尋問の結果は信用できない。

(6)  昭和四〇年春頃ミツ子は病院生活に嫌気がさし、自宅に戻つて養生をしようとしたが、未だ○○が全快したわけではないので、代診の前記平田きみよが反対した。そこでミツ子は申立人明子・孝・隆と相談して、昭和四〇年九月二三日同人らの主張する申合わせ証を作成し、平田きみよには代診を辞めて貰つて、申立人隆が代診をつとめることとなり、同年一二月二〇日過ぎ申立人隆は申立人明子・孝と共に山口○○診療所に転居し、一方ミツ子も此処に戻つて自宅療養に努めたこと。

右の申合わせ証の内容が申立人に有利であることは、その文言上明らかであつて、これはミツ子が、人の嫌がる○○の身で、申立人隆と同じ家に住み、自宅療養をすることになつたためと察せられるが、申合わせ証の文言はミツ子が申立人隆を養子とするものであることを推測させるものなく、事実その心算でなかつたことは、申立人隆審問の結果からも明らかであること。

(7)  なお前記民事訴訟事件の判決によれば、ミツ子は昭和四〇年九月二三日申立人明子に対し山口○○診療所の土地建物を死因贈与したと認定して、ミツ子の相続財産管理人に対し申立人明子のためその旨の登記手続を命じる旨判決し、該判決は確定していること。従つて同管理人を監督すべき立場にある当裁判所としては、右判決に従わざるを得ないが、若しその通り死因贈与が成立したとすれば、申合わせ証のように書面にしたであろうと思われるのに、その贈与証書が見当らないのは奇異であるし、又前記のようにその前約一〇年の間はミツ子は申立人明子一家と寧ろ疎遠の間柄にあつたことを思うと、死因贈与の証拠は極めて薄いように思われ、それにも拘らず、該判決が確定したことは本件において充分に考慮されねばならないこと。

(8)  ミツ子は右に述べた通り、昭和四〇年一二月一旦退院して自宅に戻り、二階奥の一室を使用し、近所の医者の診療を受けていたが、昭和四一年六月病状が悪化したので、同年七月一日○○大学附属病院に入院し、申立人らの見舞をうけながら同月二八日遂に死亡したこと。

(9)  山口ミツ子相続財産管理人内田茂の報告書によれば、昭和四五年五月一二日現在でミツ子の相続財産としては銀行預金が金七四〇万五、二九八円残つていると報告されていること。

以上の事実が夫々認められる。

してみると、申立人明子及び同隆は昭和四〇年一二月からミツ子と同居し、その面倒を見たとしても、僅か半年であつて、前記申合わせ書に基づき、ミツ子は診療所及びその医療設備を、申立人隆は医師としての技能を夫々提供しあつて○○診療所を共同で経営したものと言うべきところ、右申合わせ証による条件は申立人隆に極めて有利であることを考えると、申合わせ証に基づく取得分のほかに、申立人隆を特別縁故者として相続財産を分与する要はないものと認められる。

申立人明子は前記判決により診療所の土地建物をミツ子より死因贈与されたとされているほか、申合わせ証により、その生活費が診療所収入によつて賄われるという間接的利益を受けていることを考えると、この上更に相続財産を分与するほどの特別縁故関係があつたものとは認められない。

申立人孝及び同邦子とミツ子との関係が前認定の程度では右両名とも特別縁故者と認めるに足りない。

次に申立人井上章吉はミツ子に対し相当多額の援助をした事実が窺われるが、これは大部分妾関係維持のための出捐と言えるのであつて、かかる場合その出捐者を特別縁故者と認めることは相当でない。

以上の次第で申立人らの本件申立はいずれもその理由がないので、これを却下することとし、主文の通り審判した。

(家事審判官 室伏壮一郎)

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